肉まんとあんまん

今朝起きたらあまりに空腹でなぜか無性に肉まんとあんまんの両方が食べたくなり近所のコンビニへ。けれどそこにはカレーまん1個しかなく、いちばんに食べたいまんを妥協するのも嫌だったので、小雨の中500m先の別のコンビニまで歩くことにした。別のコンビニには肉まんを始めピザまんチーズまんなど種類はたくさんあったけれど、あんまんだけが売り切れており、仕方なく肉まんだけを買い、それを食べながらさらに500m先の別のコンビニまで再び歩くことにした。ここまでくるとどうしてもあんまんが食べたくて仕方ない。頭の中はあんまんのことでいっぱいになっていた。半ば躍起になってコンビニに入りレジ横の保温ケースを凝視。あんまんらしきものがあるのを確認。さすがにすぐに飛びつくのは恥ずかしく、一旦冷静さを保つため、そしてやがて来る楽しみをぐっと味わうため、なんでもなかったような顔をして店内を一周してからレジへ。そこにはあんまんだけではなく、プレミアム肉まんなるものまであった。うまそうやんけ。その両方のまんを日本語のおぼつかない中国人らしき店員に注文し、ついでにここまで歩いた自分へのご褒美にグリコの紙パックのマイルドカフェオーレも買って帰路。やっぱり一番欲しいものは妥協せずしつこく探せば見つかるものなのだ。そんな教訓もゲットし、紙パックに伸びるストローをさしてあんまんを食べようと思ったところ、袋の中身はひとつがプレミアム肉まん、もうひとつは普通の肉まん?!って、あんまんが入っていない!なななない。驚愕。あまりの衝撃に発狂していたら紙パックのストローが短くパックの中に落ちて飲めなくなってしまった。目一杯ストローを伸ばしたはずなのになんでか。それはストローの縮尺が3段式になっていたからで、まだもう一段階伸ばすことができたのだった。早くあんまんを食べたいあまり気持ちがあせって確認を怠ってしまった。今までの僕だったら結局妥協をしてマイルドカフェオーレも飲めないまま泣く泣く合計3個の肉まんを食べていたことだろう。けれど30代も終わりに近づき、人の威圧感・恐怖心または罪悪感に煽られて、やりたいことが半ばできなくなるなどの様々な屈辱の経験の血が騒ぎ、このまま本当に食べたいものを食べられないまま、今日の朝食を終えてしまうのは絶対によくない!ともう一人の僕が宣い、再び歩いてコンビニへ出向き、肉まんをあんまんにチェンジしてもらおうと意を決した。こちらが注文を言い間違えたのならまだしも、僕は片言の店員に「あんまん1っこ、とプレミアムなほうの肉まん1っこ」と何度も確認をとっていたのだ。たとえこれは日本語のおぼつかない店員だったからといって許せる問題ではない。というか自分自身が誰かを恨みながら一日を過ごしたくなかったし、これ以上人のせいにして人生を生きたくなかった。再びコンビニに行き、さっきの店員にそのことを告げると店員はすぐさま申し訳なさそうに丁寧に謝ってくれ、肉まんをあんまんに急いで交換してくれた。どうでもよさそうな小さなことだけど、これはちゃんと言えてよかった。心のために。自分が望んでないものを提供されたとき、どうしても断れない性格で今まで本当に苦しかったのだ。歯切れの悪い経験もたくさんあった。言ってもわかってくれないし、わかろうともしない人も多い。だけどあの中国人の若い男性店員に間違いを指摘し、すぐさま丁寧に謝ってもらえたとき、言えば伝わるんだなぁってことが経験としてよくわかった。逆ギレして自己防衛に走る面倒くさい人ばかりじゃない、素直に謝れる人もいるんだな。遠回りしたけどいい経験として自分に返ってきた。

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