NewAlbum『まぼろしがすむ』コメント①中川五郎さん

2021年7月10日Release雨宮弘哲トリオNew Album『まぼろしがすむ』へ敬愛する9名のアーティストの皆様にコメントをお寄せ頂きました。これから一つずつコメントをご紹介していこうと思っています。第一回目は中川五郎さん。フォークシンガーとしてかなりの大先輩にあたりますが、若輩者にこのようなコメントを頂き、ありがたい気持ちでいっぱいです。 五郎さんは昨年コロナ禍となったときにライブ活動をお休みし、ブログにて長文に渡ってご自身の心境を綴ってらっしゃったのが切実でとても印象に残りました。( https://goronakagawa.com/works/essay/2020-03-28.html 2020.3.28の投稿) 今回お寄せ戴いたコメントも、コロナ禍でライブが出来なくなってしまったミュージシャンの視点を踏まえて執筆してくださいました。雨宮弘哲トリオも何度かライブの中止がありましたが、その中で「生配信公開レコーディングライブ」という手法に辿り着き、今回の新作『まぼろしがすむ』が生まれたという経緯があります。同じミュージシャンの立場でアルバムを聴いてくださって感謝の気持ちでいっぱいです。ご一読いただけたら幸いです。


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去年2020年の春から歌い手たちが思うように歌えない状況になって、それは一年二ヶ月後の今も続いている。歌う場を奪われた歌い手は、どこか行き場をなくした鳥のようだ。だからと言ってへこんでばかりではいない。それならこもって自分たちの歌を研ぎ澄ませ、深めようといろんな試みに取り組む。雨宮弘哲トリオは自分たちの大好きなライブハウスで「生配信レコーディングライブ」を行なった。完成した作品を聞くと、思うように歌の旅ができなくなった分だけ、メンバーそれぞれの歌への思いが強くなっていることに気づかされる。そしていつものように行けなくなってしまった山や海や空、そこに吹く風や出る星、そこにいる自分自身のことが、より鮮やかにカラフルに歌われている。今の時代、「思うように歌えない」という「まぼろし」が住む、とんでもないことになった。しかし詩(歌、声、音、言葉、メロディ、リズム)が、ぼくら歌い手(ミュージシャン)の生き方の中心にあり、その毎日の中に「詩がすむ(住む、澄む)」かぎり、「思うように歌えない」という「まぼろし」は「霞む」。雨宮弘哲トリオの新しいアルバム『まぼろしがすむ』は、歌の力と喜び、音楽の熱と美しさに溢れている。


中川五郎

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中川五郎プロフィール
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲作りや歌手活動を始め、68年、「受験生のブルース」で注目を集める。70年代以後は音楽ライターとしての仕事が活動の中心に。さらに、90年代以後は小説の執筆や翻訳に注力。1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、日本各地でライブを行っている。アルバムに『25年目のおっぱい』(フィリップス、1976年)、『どうぞ裸になって下さい 』(コモエスタ コスモスレコーズ、2017年)など。著書に『裁判長殿、愛って何?』(晶文社、1982年)、『ロメオ塾』(リトルモア、1999年)、訳書にブコウスキー『詩人と女たち』(河出書房新社、1992年)、『ボブ・ディラン全詩集 1962-2001』(ソフトバンククリエイティブ、2005年)などがある。