25年振りの邂逅

ぼくは19才のとき、音楽活動の拠点は国立駅前でした。まだ路上ミュージシャンなんてそんなに居なかった時代。ある冬の夜、いつものように駅前で弾き語りしていると、中南米風な民族服を纏ったご夫婦がしばらく佇んで聴いてくれていて、演奏が終わると奥さまが百円玉を丁寧に5枚重ねて投げ銭してくださった。とても嬉しくてお礼を言った後にお話すると、その旦那さまはフォルクローレバンドのMAYAの橋本仁さんだということがわかり驚愕した。そのときぼくがロックバンドたまの曲を歌っていたから興味を持って聴いてくれたんだと思う。当時、たまとMAYAは名曲「石の町」(作詞:知久寿焼/作曲:橋本仁)を共作し、ライブ共演していて、ぼくはMAYAのアルバム『センサシオン』ももちろん愛聴していた。橋本さんはその場で手書きの連絡先を書いて渡してくださり、MAYAのライブにも誘ってくれた。その後、MAYAが当時よくライブをしていた国立のレストラン「ラバンバ」に顔を出し、MAYAのライブを初体験。あるときは中央線で山梨帰省中に橋本夫妻にばったりお会いしたこともあった。その直後、ぼくは東京を離れることになってしまい、橋本さんも神戸へ拠点を移され、以来お会いする機会はなかった。

それから25年月日が経ち、ずっと活動を続けてたぼくは昨年何度か新松戸FIREBIRDで何故かフォルクローレ関連のイベントに呼んでいただくようになった。(おそらくバンドでアイリッシュトラッド、特に波子さんがティンホイッスルをやっていたのがお誘いくださった理由かもしれない。)そこで共演したチャランゴプレイヤーのTOYO草薙さんの演奏が素晴らしく、ライブ後にお話すると草薙さんはMAYAのメンバーだということがわかり、また驚愕。ぼくが昔、橋本さんと出会ってMAYAのライブも聴きに行っていたことをその場で草薙さんにお伝えしていた。
そして昨夜、草薙さんの計らいでMAYAのコンサートにお誘い頂き、橋本仁さんと25年振りにお会いすることが出来たのです。橋本さんは当時ぼくが路上ライブをしていたこと、そのとき歌ってた曲、ぼくがライブを見に行ってたこと、電車の中で遭遇したことまでよく覚えていてくださっていた。そして何より、25年振りに見たMAYAのライブがとても素晴らしかったのです。長きに渡りスタイルを変えることなく音楽を続けることの魅力を目の当たりにし、込み上げるものがありました。橋本さんもお変わりなく、ケーナを吹き、ときにチャランゴやサンポーニャ、ボタンアコーディオンを奏で、その場がなごむようなMCを挟みつつ、楽しく情熱的なライブをメンバーの皆さんと共に奏でていた。MAYA5人の佇まい、そしてコンビネーションも絶妙でした。何十年も続けてきた先達のフォルクローレの飛沫を浴び、自分もまだまだやれることをやっていこうと思うのでした。これからもMAYAとしての活動を追い続けてみたい。自分が進む音楽の指針としても。お誘いくださったTOYO草薙さんには感謝ばかりです!

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